無職ちゃん寝る*

お肌プルプルしてるのはいちごのベッドで寝てるからよ。

無職になった新卒2年女の「会社を辞めた4つの理由」

トピック「退職」について


2年前の2015年3月、大学を卒業した。

その日、親しかった友人と別れる、大学へ通う日々が終わる・・・

といった実感は1mmも無かった。

 

辛かった卒論の日々、気まずくなった友人とか元彼とかその他の人間関係から離れられることへの嬉しさと

これから「しゃかい」へ出る期待・希望・そして不安だけを持って大学の門をくぐった。

 

 

家はお金持ちというわけではない。

かといって生活保護を受けるほどではない普通の家庭だが、

両親はすこし無理をして大学に通わせてくれた。

だから、会社に入ったら、

その会社のために働き続け、いずれは役職について、

バリバリ働いて、学生時代の友人たちよりも稼ぐ

『キャリアウーマン』になりたかった。

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それが恩返しだと思った。

人よりも行動的な方だと思うし、自分ならやれると思った。

 

でも、

 

 

その2年後、2017年3月

わたしは会社を辞める。

 

 

 

理由はいろいろあるけど、

「会社選びに失敗した」

 

すべてこの一文に集約できると思う。

 

前置きがアナコンダのように長くなったが、

辞めた理由を書いていこうかと思う。

自己満足です。これから就職活動をする人へ何かの参考になればラッキーかなぐらいの気持ちです。

 

 

 

1.もともと一度失敗している事業だった

入社した部署は7年前にできた部署で、会社としては新規事業であった。

新規事業として異業種に参入し、販路を開拓する・会社の寿命を延ばすといった取り組みを行う企業が増えているらしい。

富士フィルムが化粧品事業に成功したりとか

 

biz-journal.jp

 

 

入社した会社がそうだった。

 

数年前から勤めている社員に聞くと、

もともとは社員教育と、知人への支援の一環として新規事業を始めたようだ。

社長は、周りの同業他社や、飲み屋のチャンネーに「新規事業を始めたスゴイ会社」と意外がられることが嬉しくて、

それを自慢したいという下心から、部署が事業化した。

 

他者が成功しているから、自慢できるからという簡単な理由で、何も考えずに乗り込んだ新規事業はうまくいかなかった。

 

そもそも、既存事業で腕を上げてきた社員たちに、新規事業(異業種)のノウハウも興味も皆無。

社長の辞書には「餅は餅屋」なんて諺は存在しないようで、今いる社員に既存事業をやらせながら新規事業を任せた。

社長の指示だから、と始めた社員は、ノウハウも掴めぬまま、

大量の商品在庫だけが残っていった。

 

 

そこに初めて専業で新卒者が1人入った。

 

私だ。

 

 

兼務する社員5人と、専業とする社員はわたしと上司(部署長)の2人。

何も知らなかったわたしは新規事業に関われることにワクワクしていた。 

見えていたのは、早期の「出世」の文字だ。

 

その期待はすぐに奪われることになった。

唯一の上司である部署長が、

「窓際おじさん」だった

 

 

2.問題視されてた上司と二人だけの部署

 

地方の中小企業にありがちかと思うが、私の入社した会社は、

社長の親族(従兄弟や兄弟)が役員をやっている会社だ。

従業員は50名ほどいるが、役員は全員親族だった。

 

その上司は、親から大きな株を引き継いでおり、社長の親族という理由で「取締役」という肩書きがつけられていた。

 

入社してすぐ、「君の上司は使えなくて無能だから、何かあったらいってね」と人事担当に言われた。

 

すべて後から分かったことであるが、

その人事は、その上司に事業失敗を期待し、会社から追い出すことを熱望していた。

 

上司は「窓際おじさん」だった。

 

窓際族(まどぎわぞく)とは、日本企業団体の職場において閑職に追いやられた、主に中高年の社員・職員を指す言葉。

1977年6月安定成長期円高不況時)の北海道新聞コラムでラインの管理職から外れて仕事も与えられず窓際に追いやられた中高年層がデスクで新聞を読んだり、外を眺めては時間を潰すという光景を『窓際おじさん』という言葉で載せた。

  

 

以下が、窓際おじさんのスペック。

 

①必要最低限レベルのパソコン能力がない。

書類作成の多い部署だった。Excelの表の作り方から教えた。

 

②指示ができない。

指示したいことがあるようだが言葉が足りなくて伝わってこない。伝わらないことに対しての苛立ちは、わたしの方に向けれれた。 

 

③上から指示を受けたことは、そのまま部下へ

上から指示を受けたとしても、自分で処理出来ないから、そのまま横流し

 

④プライドが高い。

以上のスペックをお持ちの窓際おじさんであるが、それでもまだ

「いつも悪いね」くらいの一言があればまだやりやすかっただろうが、

会社に40年以上勤めた窓際おじさんには、プライドぐらいある。

その態度は傲慢だった。

 

 

結局、窓際おじさんは違う部署へ異動になり、今は「取締役」の肩書きを持ちながら

用務員をしている。

 

 

3.会社の将来性

 辞める決め手になったのはこれが大きい。

上記につらつら書いた通り、なんとなく察していただけているのではないかと思うが、

社長は頭が切れるタイプではなかった。

富士フィルムさんのように、

既存事業の資源を、新規事業に活かすことができているわけではない。

わたしが勤めた2年間の間に、上司が2回入れ替わりをし、

わたしも晩酌しながらなんとか勤めていたが、

新規事業が好転したとは言えなかった。

 

 

そんな最中、新規事業の資源を活かした店舗の立ち上げが

突如、計画された。

 

ちなみに新規事業は食品産業。

それを用いて「カフェ」を作りたいのだという。

 

 

前述したが、社長の辞書に「餅は餅屋」という言葉は存在しない。

この計画を遂行する上で、専門的知識が必要であろう調理・店舗設計を

すべて今いる社員にやらせようという考えだ。

 

正直、

任された社員に、それが全うできるとは思えなかった。

 

 

既存事業も相変わらず低迷している。

社長は60代。後継者はいない。

(一人娘はいるが上京先で夢追い人をしている)

 

この状況下にいる会社の寿命を考えると、

いやというほど、先が思いやられるのであった。

 

 

4.やってみたいことができた。

 

入社する前には、あまり考えもしなかったことであるが、

2年間勤めている中で、もっと本格的に勉強して

お仕事として「やってみたい」と思うことができた。

 

 

お仕事のひとつとして任されていた、

「ネットショップサイトの立ち上げと運営」だ。

 

 

ネットショップを見にきたお客様の購買意欲を刺激するような商品ページを作ったり、

商品レポを更新したり、お客様からのお問い合わせに対応したり、といった仕事だ。

 

ある日突然 注文がきたときには、努力が実を結んだ、と心が跳ねた。

 

 

会社の経営陣には、ネットショップに関心を持つ人物はいないし、

他の任されたタスクをこなすのに必死だったから

このネットショップのお仕事に多くの時間を費やすことができない状況だった。

 

もっと、やりたいのにな。

と兼ねてから思っていた。

 

 

そこで、回路が繋がる。

 

将来性がないと思う会社は辞めてしまって、

勉強する時間をたくさん取って知識と経験を身につけ、

やりたいお仕事ができそうな会社に転職しよう。

 

 

次を決めずに辞めるなんて甘い!!という言葉が聞こえてきそうだけど。

(ごもっともなお言葉すぎて耳が痛いです・・・汗)

上司がだめだった、会社がだめだった、と書いたけど

 

結局は、

この会社を選んだ自分の判断力、新規事業を軌道に乗せることができるほどの

経験や知性を持ち合わせていなかった自分の力不足も大きいのだ。

 

良い転職先に就職できる。

次は必ず成功する、活躍できる。

 

とは言い切れない。むしろ全然自信はない。

 

 

 

だけど、 そんなめんどくさい話や考えはどうだっていい!

と思って。

 

私は、新卒2年で、会社を辞めました!!

ヾ(*´∀`*)ノ゛ 

 

 

辞めるって上司に話したときは、いろいろと吹っ切れた。

ずっと崖に飛び込むか飛び込まないか、もやもやしていた気持ちが

飛び込んだことでかなりスッキリした。

 

今でも、

本当に辞めてよかったのだろうか、と不安が脳裏をよぎることはあるのだが、

 

自分で選んだ未来だから

やれるところまで、

やってみたい! 

 

 

そんな若い気持ちを持って、24歳の1年間もがんばります。

(※先日誕生日でした)

 

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました!